亀和75年の歴史

1935年(昭和10年)

築地市場開場。
それまで日本橋にあった市場を築地に移した。

1938年(昭和13年)

和田鍵次郎が亀和商店を創業。
和田鍵次郎(のちの初代社長)は小学校卒業後、13歳で佃亀新に入社し、仕事を覚える。15年間勤めて、27歳で独立し、亀和商店を創業。当時は小学校を卒業して働きに出ることは珍しくなかった。

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1944年(昭和19年)

戦争により事業を一時中断。
当時、政府の統制により、配給経済が成り立っていたため、仲卸の仕事ができなかった。その間、鍵次郎は家族とともに山形に疎開し、杉皮から繊維をとる仕事、壁紙づくり、松やにから燃料を作る仕事など、生きていくために様々な仕事をした。

1945年(昭和20年)

第二次世界大戦終戦。
空襲により東京は焼け野原となってしまった。

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1950年(昭和25年)

仲卸業を再開。
昭和20年の終戦後、徐々に配給経済がなくなり、昭和25年には完全に政府による統制が終わった。それにより仲卸の仕事が再開できるようになり、創業者和田鍵次郎は、荷受会社の日本魚類で1年ほど勤務の後、仲卸業を再開した。当時は自動車がなかったため、自転車で配達した。

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1954年(昭和29年)

学校給食の会社、㈱中央市場給食を設立。合わせて加工場を建設。
当時、仲卸と言えば、魚を仕入れて飲食店や小売店に販売するだけだったが、亀和商店では、魚を加工し(さばいて)飲食店に販売するサービスをスタートした。築地市場では誰も行っていないサービスで注目を浴びた。

1955年(昭和30年)

三重県尾鷲市での鮎の養殖事業を開始。
三重県尾鷲市で稚鮎が豊富に漁獲されるということで開始。築地市場に入荷する前に死んでしまうものが多く、うまくいかなかった。その後のチリ大津波(1960年)により鮎が流されてしまったことをきっかけに養殖事業から撤退。

1958年(昭和33年)

和田浩(のちの二代目社長)が入社
当時、和田浩は早稲田大学大学院で経済学を学んでいたが、ある時にお金が足りなくなり、家庭教師の仕事をしようと、貼り紙を出したら、それを亀和商店の番頭さん(会社のナンバー2、社長の右腕となる人)にみつかり、亀和商店に入社することになった。

1961年(昭和36年)

仲卸の泉敬商店を合併。

1962年(昭和37年)

ホテルオークラが開業し、取引開始。
開業時からホテルオークラに魚をお届けしており、2014年で52年の付き合いになる。

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1964年(昭和39年)

プリンスホテルと取引開始。
プリンスホテル創業の翌年から取引が始まる。その後、グループのトップである堤義明氏の意向により、グループすべてのホテルに亀和商店の魚を納入する。北海道の富良野から九州の長崎、韓国のソウルまで魚を届けた。

1966年(昭和41年)

常磐ハワイアンセンター(現きずなリゾート ハワイアンズ)と取引開始。

1973年(昭和48年)

㈱中央市場給食を合併。

1974年(昭和49年)

甲府市のデパートでの鮮魚店(小売店)をオープン。
甲府市の岡島デパートにこの年の2月に入社した木村さんを店長として派遣。亀和商店の質の良い魚を甲府の人たちに食べてもらうことを目的として、鮮魚店を始める。山梨学院の体育会の
元気な学生にバイトとして働いてもらっていた。1984年(昭和59年)、デパートとの契約満了により
閉店。

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1976年(昭和51年)

この頃からグアム・サイパン向けの輸出がスタート。
グアムにオークラや日航など日本のホテルチェーンの進出にともない輸出がスタート。当時、世の中ではグアムをはじめ海外での結婚式が流行し始めていた。

1979年(昭和54年)

本社ビルを完工し、事務所・加工所・冷蔵庫・製氷設備を併設。
現在、これらの設備を持つ仲卸は以前に比べて少し増えたが、当時は築地の中でほとんどなかった。主なお客様としてホテル、料亭に納めていることもあり、魚の加工・保存なども妥協することなく、高い品質を実現することが必要だった。

1982年(昭和57年)

和田鍵次郎、勲四等瑞宝章受勲

1989年(平成元年)

和田一彦(のちの三代目社長)入社。
和田一彦は大学卒業後、システムエンジニアとして約5年勤務した後に亀和商店に入社。亀和商店は33年増収増益、年商58億円を記録。当時はバブルで魚の単価が高い上に、流通する魚の量も多く、築地市場全体が大変な活況だった。市場の中は大渋滞で身動きがとりにくい状態だった。(統計を見ても市場規模は現在の約2倍)

1991年(平成3年)

シンガポールへの輸出がスタート。
シンガポールで寿司屋を経営する野川さんから、質の良い魚を仕入れたいということで声をかけていただき、取引開始。その後、野川さんのお店から独立した白石さん・青木さんなど、シンガポールでの取引が拡大。

1998年(平成10年)

トライアドフィッシャリー社(アメリカ・アラスカ)より冷凍魚(サーモン)の輸入を開始。
小田急センチュリーハイアット(現ハイアットリージェンシー東京)がきっかけとなり、紀伊國屋のバイヤーからアラスカの漁師ブルースゴアを紹介してもらう。その後、ブルースゴアのサーモンの品質の素晴らしさに感銘を受け、仕入れることになる。

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2006年(平成18年)

日本で初めて「海のエコラベル」MSC認証を取得。

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2008年(平成20年)

香港への輸出をスタート。

2013年(平成25年)

イギリス発のグローバル情報誌『モノクル (Monocle)』が編集した、内閣府発行の日本を紹介する小冊子“LOOKING TOWARDS THE FUTURE”に掲載される。

2014年(平成26年)

多摩川の天然鮎漁に参入予定。

2039年(平成51年)

創業100周年。